神西城址

 東神西町麓高倉山にあり、別名、龍王山竹生城とも高倉城ともいわれ、西に常楽寺川と東の九景川に挟まれた丘陵地にあり、石見国への西の要衝地で、城郭は山城で山頂から一の平(本丸と櫓)、二の平、三の平(館)となり、空堀をめぐらし、武家屋敷は麓谷、十楽寺あたりである。
 城主は貞応2年(1223)小野高通公が鎌倉から下向して、地名を「氏」としたのが始まりで、代々神西三郎左衛門を名乗り、尼子氏の出雲十旗の1つであったが、天正6年(1578)に播磨国上月城で自害された、12代の元通公まで350年続いた。居城跡に『神西城址』の記念碑とあずまやとがあり、毎年8月開催の『神西まつり』には”一夜城“が再現される。