間島作庵翁碑

 間島作庵翁は苗字を真島、馬島、馬庭ともいい、九州か長門の住人で大社詣で(一畑薬師詣でか)の途中、蛇島に定住した眼医者で植林(防風林)に努めた。(上野屋古文書)差海川開削にも藤崎五右衛門と共に計画したが、その後、観音堂(ご本尊十一面千手観音)を十楽寺に預けて松江に行き、眼医者を開業した。
 昭和54年(1979)、『間島作庵翁碑』が国道431号線沿いに建てられた。