ゆきなさん
父は仕事で家にいないことが多く、家にいる時は
ほどんど自分の部屋で音楽に浸って過ごしていた。
それぞれに好きなことをして、いつも別々。
夫婦として楽しそうに会話をしているのをみたことがない。
ウチの両親は、もしかして仲が悪いのだろうか?と私はひそかに心配していた。

高校生になった頃だろうか。
どういう状況でそういうことになったのか、まるで覚えていないのだが、ある日、父になにかうれしいことが起こったらしい。
父は母の名を呼び、手をにぎって引き寄せ、私と妹の目の前で、しかも台所のど真ん中で、チークダンスを踊りだしたのだった。
父は満面の笑顔で歌っていた。

♪heaven my blue heaven 〜 dancin' cheek to cheek ♪

頬をよせてダンスする父と母をながめてうれしくて、はずかしくて、あたたかくて、しあわせな、ちょっと不思議な感覚に包まれていた。
結婚っていいな、夫婦っていいなと心から思えた瞬間だった。

20代の頃、ミュージカル映画にはまった。
映画館でリバイバル上映をしていて、何週間も続けて通い20本以上の作品を観たような記憶がある。
そのうちの1本で、父が口ずさんでいた歌と再びスクリーンの中で出会った。

「チーク・トゥ・チーク」の歌が流れた瞬間から
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの姿があの日の父と母に入れ換わってしまったのを覚えている。
『トップハット』。私の大好きな作品である。
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