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***Diary***



2004年04月23日(金)
早すぎた衣替え

昨日は全国的に記録的な暑さだったんだね。
ここのところ晴天が続いて、子どもたちはすっかり夏スタイルになってました。
私も長袖がウザッたくなり、昨日の朝衣替えしました。
去年の夏はこんなもの着てたんだなぁ〜と、センスの悪さに唖然@@
サイズが合わず(なぜ?!)着られなくなって久しい服で、人にあげても困られないような服は袋の中。
襟元が伸びきったTシャツや、シミの付いた服は思い切ってゴミ箱へ。
今年も着られそうな服はタンスの中。
半そでのTシャツやブラウスが並んで、衣替えは終了。
もともと数が少ないからすぐに終わっちゃうのよね。

今日は仕事だったので、昨夜は「明日はこれを着ていこう!」と、タンスの中からコーディネイトして用意していたんですよ。鼻歌交じりで・・・
なのにさぁ、私の高揚した気分をあざ笑うかのように、今朝の空はどんよりとした曇り。
天気予報では午後から晴れマークなんだけどどうなんだろう?と心配しつつ、半そでTシャツにブラウスを重ね着して出掛けました。
洗濯物も天気予報を信じて外に干して出てきたのよ。
悪い予感というのは的中するものだね、家を出てから数十分で雨が!!
車のフロントガラスにポツポツと雨が打ち付ける。
あちゃー、やっぱり雨か。
外に干した洗濯物が頭に浮かんだけど、でも午後からは晴れるはずだから大丈夫。そう言い聞かせましたとも!
なのになのになのに、、、、雨はどんどんひどくなり、ワイパーは2段階にパワーアップ@@
「そういえば、子どもたちは学校へ行く時、傘を持っていったのかなぁ〜」とか「帰ったら洗濯物はずぶ濡れだろうな」とか「衣替えはさすがに早かったよなぁ〜」とか。
心配事やあれやこれや頭に浮かぶ。
まぁ〜、こんな日もあるよね。

結局、雨はすぐに止んでくれて全部取り越し苦労に終わった。
でも寒い!(半そでしかないのに@@)
やっぱり衣替えは早かったなぁ〜。。。






2004年04月21日(水)
今頃どう過ごしているのか?<少年A

『少年A矯正2500日全記録』(草薙厚子著)をようやく読み終えた。
少年Aとは、あの酒鬼薔薇聖斗のこと。
14歳で2人の子どもを残忍に殺害し、警察に挑戦状を叩きつけ、日本中を震撼とさせた事件の加害者だ。
あれから7年。少年Aは既に少年ではなくなり、医療少年院での矯正教育を終え、仮退院を果たしたばかりだ。

7年前の私は3歳の長男と1歳の次男を抱え、テレビに釘付けになっていた。
ようやく言葉を話し出した可愛い盛りの長男が、まだミルク瓶を離せないでいる次男が、10年後にはこの少年Aのような事件を起こす殺人鬼に変貌するかもしれないと、子育てに迷いも苛立ちも感じていた私は身震いする思いで見ていた。
こういう不安を持ったのはきっと私だけではなかったと思う。
心の中にバモイドオキ神を作り出し、『聖なる実験』や『聖なる儀式アングリ』という殺人をやってのけたのは一体何が根本原因だったのか?
当時テレビなどの報道では、慕っていた祖母の死と母親の過交渉と愛情不足が原因だとされていた。
そう言われればそうなのかもしれないけど、でもたったそれだけのことで、あそこまで残忍なことが14歳の子どもにできるのだろうか?という疑問が拭えないでいた。
一方、同年齢の子どもたちから「わかる様な気がする」「ボクもいつキレるかわからない」という声も聞え、少年Aが例外とは限らないという不安も膨れ上がる。少年Aは精神異常者だという診断が出ていれば、あるいはもっと気が楽になったのかもしれない。

この本で始めて知ったのは、鑑定医による精神診断の結果『Aは未分化な性衝動と攻撃性との結合により、持続的かつ強固なサディズムがかねてから成立しており、本件の非行の重要な要因となった』と診断されていたことだ。
つまりAの場合、思春期の少年にある性中枢の発達が遅れ、暴力シーンをイメージすることでのみ性的な興奮と満足を覚える『性的サディズム』だったのだ。
少年Aの性の成長が異常だったのか、このアンバランスは誰にでも有り得ることなのか、また何が原因でバランスが崩れたのかまでははっきりとした診断は出ていない。
そのはっきりとしない部分に『母親との関わり』が滑り込んでいる。(ように思われる)
現に、医療少年院では『赤ん坊包み込み作戦』といって、精神科医や教官などのスタッフによる擬似家庭を作り出し、Aを赤ん坊の頃から愛情を注いで育て直すというプロジェクトが実行された。
そして本の文中によると、Aの性的対象が以前の猫の虐待シーンや暴力的なものから、女性へと移行していき、疎外していた母親との関係も回復したとある。

少年法に守られてAは更生への道を歩むべく社会へ船出した。
『Aに再犯の恐れはない』と少年院関係者は太鼓判を押しているようだが、例えば私の家の隣に移り住んできたとしたら、正常心ではいられないだろうと思う。
隔離と管理が徹底された場所での矯正が、どれほどの効力があるというのか。また実際にAをこの目で確かめて安心できる状態になったとしても、Aに二面性がないと、あるいはサディズムが再燃しないと誰が言い切れるのか。
もしAが再び何か問題を起こせば、(Aが既に成人しているとはいえ)最近取り沙汰されている『自己責任』の域では収まらないだろう。

しかし、こうも思う。
事件を起こしたのは子どもだった。
どんなに残虐な事件だったとしても、子どもの頭で考え、子どもの衝動が引き起こした事件だった。決して幼稚な大人の仕業ではなかったのだ。
子どもは全ての面で発達途上で、どの部分にも可能性が秘められている。
きっと少年Aにも未熟だった性衝動が完成し、今後も必要な指導と保護の元で、地域に根ざしたより良い社会人として成長を遂げるのも不可能ではないはず。
その可能性に人間としての尊厳を賭けても良いのではないかと。(ちょっと大袈裟かな^^;)







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