第二編 地頭時代

第七章 神西城址




 神西家の居城は龍王山竹尾城という。竹尾は、「竹之尾」、あるいは「竹生」、または「竹之生」とも書くが、いずれも「タケノヲ」という音で同じである。山名は龍王と言うが、龍王とは水難を救われる貴船神のことである。山項は101メートルの高さで、神西湖を眼下に見下ろし、展望が広くきくところである。湖の害を除くために龍王社があってこの山名がつけられたのではなかろうか。

 那売佐(なめさ)神社から坂本谷へ越す、坂の右にあたる急斜面は城の背面で、いわゆる搦手である。切岸(きりぎし)を作った跡が見える。一ノ平(たいら)の西部は1櫓(やぐら)があったものと思われる。この所に陸地測量部の標石があるので、最高地点である。東西の両側面は天然の険しい崖になっている。一ノ平を北に下りるところは階段式に作ったもののようである。幅が狭くて、2騎ぐらいしか並んで通れない。ここの西側に軍用井戸があったけれど、今は埋もれて探すことができない。

 三ノ平は最も広く見える。ここに神西家の館(やかた)があったものと思われる。「神西御殿」 と、華(はな)のように呼ばれたことであろう質素を第一に考える武家のことだから、それほど広壮な建物はないけれど、棟数は多かったことだろうと想像される。しかし、大名式の生活で、舶来南京焼の手水鉢(ちょうずばち)の破損したのが、近年まで村内にあった。以上は城の主要部で、これに対する補助防備と思われるものは省略する。

 武家屋敷すなわち家臣の邸宅は、麓谷、市場、三ノ丸十楽寺間のあたりにあったものと思われる。市場と呼ぶのは、市の立つ日に物売りと買い手の集まる所をいう。城下としてはぜひ市場がなくてはならないところである。城地や東の谷をへだてた所に矢竹の生えているのが多い。この竹は自然に生えたものではない。いくさに必要だから植えられたものであろう。

 【注】 1櫓=四方を展望するために設けた高楼

[表 紙]  [目 次]  [前ページ]  [次ページ]